2017/08に発生したバルセロナテロについて

 今日は8月21日。先週起きた悲しい出来事から数日がたった。我々の夏休みの最後の週末が終わり、今日から普通の生活に戻る。ここ数日、友人達とこの事件について色々話すことがあった。日本からは色々と見えないことがあるだろう。長文にはなるが、現地事情を、個人の主観を含めて説明しようと思う。

 テロリスタ達
 モロッコ移民であり、国籍はスペインもしくはモロッコ。ロカールのカタラン語を話す、すっかり地元に馴染んだ移民達だ。それに若い。居住地はバルセロナから車で1時間半ほどピレネー山脈に向かう途中の小さな町。カタラン語が中心な田舎の町。今分かっているのは彼らの導師(イマーム)が中心となって、2ヶ月という短期間で、テロリストに仕上げたのではないかという事だ。テロ事件の数日前に起きた爆発事後で3名が死亡し、その内の一人がこのイマームではないかという事で現在NDAの照合中らしい。8月20日の警察の発表によると数日以内に全体像がつかめる予定とのことだ。

 移民
 スペインでの移民の代表はモロッコ人と中南米人だ。公立の学校を覗いて見るとよく実感できるだろう。公立は移民を受け入れるために、公立学校の教育は複雑だ。それは言葉から文化的な課題まで、様々な要因がある。一般に教育レベルの低下がこれらの学校ではみられ、経済上余裕のある人々は公立を避けるようになる。これは悪循環の始まりとなり、公立では価値観の違う人々がそれぞれの主張を変えないまま、スペインの義務教育を受けることになる。先生達は一般的には出口のない解決策に疲労しており、疲弊した学校の場合、義務教育のサービスは最低限を保つことが目標になっている。

 【人種差別】
 人種差別は存在するか?YES、但し、それを乗り越えて理解しようとする人が大多数というのが実感だ。従って、なんとなくタブーというよりは、基本的常識としてそれがある上で対応しているので、分かりやすいかもしれない。今回はイスラムとモロッコがテロリストの共通項だが、それらに対する国民的な激しい非難はみられないようだ。そしてこれはスペインの良いところと思う。その一方、彼ら出身の田舎町ではどうだろうか?このような事件が起きれば、現実はもっと厳しいだろう。但しこの場合は人種差別ではなくて犯罪者としての取り扱いと考えれば、住民達の反応は当たり前とも思う。

 警察
 警察に該当する執行機関は4つあり(びっくり!)、今回は地元(カタルーニャ)の警察が捜査をリードしている。これらの法的機関間での情報共有や縄張り等の複雑さはあるものの、記者会見の様子をみている限り、正しい対応をしているように思える。また発表者の対応は見事なもので、市民からの信頼を得ることは容易だろう。

 4名を射殺した警察官
 大事故を防いだ1名の女性警察官がいた。それはまさかと思われる場所に居合わせた女性警官。テロリスタ5名中4名を射殺したのだ。このニュースを聞いたときは、ヒーローとして担ぎ出されるのかな(アメリカ映画のように)と思ったら、そうではなくて、警察の保護下にあり、個人を特定できるような情報は、彼女自身、そして家族の安全のために出さないということだ。政治の道具に使わないこの対応は素晴らしいと思った。そしてそのヒーローだが、現在は精神科医の元で休養しているとことだ。考えて見ると、この非常識な状況のもとで、4名を射殺したというのは、訓練の賜物ではあるだろうが、その事実は大変重い。彼女の現状況は、我々は誰もが人間ということ思い出させてくれた。

 政治
 中央政府とカタルーニャ州政府との間は独立をめぐる関係で、現在対立関係にある。今回の悲し事件においても、間違いなく権力の駆け引きはあるだろう。記者会見では、スペイン首相と州政府長がそれぞれの言葉で発表したが、話し方に距離感のあるスペイン首相とは異なり、州政府長の言葉は非常に親やすかった。そして普段は絶対にあることが想像できない、カタルーニャの旗がマドリットに立ったことは印象的でもあった。独立運動を巡って、今回の事件がどのように利用されるかは現状分からない。

 テロ翌日のカタルーニャ広場での集会
 「怖くなんかない」との標語のもと、国王同席でテロがあった場所のすぐ近くで、集会が実施された。これは凄いことだ。テロがあれば外出を控えるの普通だが、「テロには負けない、テロリスタが望んでいるのは恐怖だ」とのことで集会が実施された。この「怖くなんかない」という標語は地元のTV局(TV3)が子供も向けの番組で使っている言葉。地元民の誰もが知っている、響のいい言葉だ。それがこうして、みんなで叫ばれているのを見ると、涙が出る。このカタラン語の短いフレーズがテロへの全地球人からのmsgとして標語になったらいいなと思った。

 報道
 日本で言う所のLineはこちらではWhatsappで、msg量は凄まじかった。様々な情報が飛び交ったが、ビデオと警察からの内部情報について述べてみようと思う。ビデオはランブラスで起きた事件直後で、一般の人が亡くなった人を動画で撮っているものだ。このビデオはもちろん拡散したのだが、同時に、この種のビデオを拡散するのをやめようとうmsgも多数あった。それは死者と残された家族への威厳と、この種の動画を拡散する者への批判でもあった。もう一つは「知り合いの警察から聞いた情報によると」という真偽不明の情報だ。この種の情報も最初は盛り上がったが、しばらくすると、転送されて来なくなった。これも人々がおかしいと思い始めたからであろう。報道機関の基本精神は日本と異なり、それぞれのイデオロギーを通して、事実を伝えるのがスペインの基本であり、各報道機関には色がついている。正しい報道は伝える人が正しいと思うフィルターが掛かる。それを国民が認識しているという生活環境であれば、情報を疑うという基本姿勢が出来ているかも知れない。

 【団結】
 「分断ではなく、団結を」というmsgを何度も聞いた。「団結はより我々を強くする」と。これは人種差別、宗教差別、政治、市民、法務執行機関そして家族と全てに対してのmsgだと思う。普段はあまりピンと来なかったが、これは確かにその通りだ。じわじわとこの言葉の重みを感じた。

 【観光客反対】(直接関係ないけど、地元のホット・トピック)
 多すぎる観光客とルールを守らない観光客に地元民が怒っているのは本当だ。今の市長は地元民優先を掲げている。例えば、AirBnb(類似産業)に対する締め付けは非常に厳しい。観光バスが襲われたり、町の様々な場所に、非難する言葉見られる。観光反対派の勢いは、益々強くなっているように思われる。その一方日本はどうだろうか?観光客を呼び寄せることが国策になっている。どんな風に町が変わっていくのか、風習の異なる人々を受け容れられるのだろうか、法的な準備は出来ているのだろうか?そんな疑問で一杯だ。なぜならどこの国でも、観光で国自体が潤うことはなく、予想される事象に対する対策(多くは行政の問題)は非常に遅いからだ。

 【夏休み】
 バルセロナ・ランブラス通りでの犠牲者の大多数は観光客だ。普段は地元の人々も多いのだが、夏休み中で、地元民は不在だったからであろう。「夏休みだから地元民は不在」って分かるようでよく分からないと思う。これは実感しないといけない。都心でも例えばゴールデンウィークは道が空いていると感覚は分かると思う。それを3-4週間そしてさらに車の数を減らしてもらえばいい。とにかく居ないのだ。「観光客の犠牲者が多い」すなわち「観光客で一杯の通り」という表現はあっているが、もう少し深い背景があるのだ。

【ボランティア】
 交通規制により大渋滞が突然発生。トンネル内の温度は50度を超え、この状況の中数時間車内に閉じ込められた。この状況を見かねた地元民が、水と食料を車道に降りて無料配布。いい話でしょう。

【今後】
 ここ数日は事件の影響を受けるだろうが、来週からは多くの人々が通常の経済活動に戻る。そして、その2週間後には学校が始まる。こうしてこの事件も段々と過去の出来事になってくるのだろう。人々が多い通りにはフランス同様、車が通れないブロックが設置されるようになり、警備員の数が今まで以上に増えることだろう。バルセロナの観光は一旦冷えるが、優秀な市役所によるキャンペーンと安全施策により、大きな影響を受けることは無いと思う。独立運動はどうなるか今まで以上に不透明。地元の警察は従来の「怖い連中」から「信頼できる機関」にイメージが変わるだろう。モロッコ移民に対する非難は目立つものが無いが、イマームに対する一種の尊敬は低下し、市民からも監視の対象になるのだろう。外出する子供達への忠告は「あまり人の多い所に行かないで」が、一番人気となるのかな。

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